砂の上に波ひろがりぬ春の月
砂の上に波ひろがりぬ春の月 橋本 鶏二
今日の毎日新聞「季語刻々」より。
海と月と、砂浜に打ち寄せる波と、(「ひろがりぬ」だから浅い海だろうか)、それから春の夜(、あるいは昼)の生暖かく優しい空気。
あー!なんという句だろう。素敵なものが全部ぜーんぶ詰まっている。
春の海辺はなぜだろう、夏と違って切ない気分を思い出させる。春といっても、春とは言い切れない、冬の終わりごろだろうか。そんな始まりの春は、わくわくするような新しい生活を予感させるし、それと一緒に、終わってしまう楽しかった日々と互いの人生のために別れてしまった誰や彼やを思い起こさせる。しかも、そんな生ぬるくて心地よい空気の中で、私は波の音を聞き、波におされひかれ揺らめいている砂を見つめている。
私は海辺でだれと語り合っているのだろう。何を話しているのだろう?新しく始まる人生のこと?好きな人を思って、悩みをつぶやいている?
海は人をロマンチックにさせるから、日ごろろくな話しかしていない私も、きっと少しは夢の話や恋の話、スターバックスでは話せないような秘密の話をしているに違いない。
うーん、とそこまで考えて、、
いいや、もしかしたら一人かも。と思う。
語らう相手もなく、ただ海を眺めて、目を閉じて風を感じているのでは。それはそれで、いや、そっちのほうが良いかもしれない。なかなか一人になれない現代だから。
誰かとつながっていないといけない、それもなるだけ沢山と。
そんな強迫観念は捨ててしまえ。自由に自由に、春の優しい風を頬にうけ、海辺の私は波の音を聞いている。
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